デビュー25周年自分記念!① 1998年~デビュー
1998年7月 月刊誌ホットミルクにてデビュー!
友人が先にデビューしていて焦っていた僕は、当時業界ではメジャーな雑誌だったホットミルクに投稿。
なんと入選しそのまま雑誌に掲載されました。アンケートではいきなり5位に入り、2作目では期待されていたのか大きな文字で僕のペンネームが・・・・
…しかし2話目は全然ダメだったのか、その後編集さんからの連絡が途絶え、こちらからも連絡しなかったので(当時は編集さんから連絡があるのを待つものだと思ってました😴・・・)そのままホットミルクとはオサラバに😭
1999年~2004年
失意の中、元々目指していた一般誌でのデビューの足掛かりにと4大少年誌の一つへ作品を持ち込み。
担当になってもらった編集さんの紹介で、某作家さんのアシスタントに(この辺はブログ左側のカテゴリーにある〈アシスタント時代〉に詳しく書いてます。)
勉強にはなりましたが、体育会系の厳しい職場を早く抜け出したくて、半年後にはエロ漫画一本を描いて快楽天・キャンディータイム ・ビタマンの3誌に持ち込み。
どこも意外と反応が良く、悩んだものの、一番早く載せてくれそうだったキャンディータイムでお世話になることに。
再デビューはできたものの、ここでも人気はイマイチで、キャンディータイム本誌以外の増刊号であるナチュラルハイに回されたり、掲載されない月があるなどまだまだ不安定な状況が続きました。
そんな中、以前持ち込んだ竹書房のビタマン誌の担当さんからお声がかかり、おまけページの間違い探しを描く仕事をいただく↓
並行して作品のアイデアを出し、何度かビタマン本誌で作品も発表させてもらいました。
ここでは初めてアンケート1位もとらせていただきましたが、「なんでこの作品が1位なのか分からん」なんて担当さんに言われ😠 その後扱いが良くなるわけでもなく・・・
それに雑誌の性格上、基本純愛系を描かなければならないのですが、それがエロを描くより恥ずかしい・・・向いていない・・・😖
イマイチ人気も安定せず、自分の方向性に悩んでました。そんな時、新創刊されるという雑誌 コミック幻羅 で描かないかとスカウトされました。
ここでは先にデビューしていた友人の島本かおる先生と初めて同じ雑誌で描けたり、後々大きな財産となる深紫’72先生との出会いもありました。
当初はアンケート上位にはいたものの、まだまだ不安定でしたが、編集長の《人気さえ取っていれば好きにやっていい》という方針の下で、それこそ好きにやらせてもらい、5作目くらいだったか、遊び心でやった’逮捕しちゃうぞ’みたいな二人組のキャラで描いた作品がアンケートで断トツの数字を取り、それ以降はほぼずっとアンケートトップ3には必ず入っているくらいになれました。
そして2001年ついに初単行本が出ました!
なんと発売開始一週間もかからず増刷が決定し、その後も5刷りくらいまではいきました。
嬉しくて、売れ行きの確認に近所から秋葉原まで本屋を何件も見て回りました・・😅
最初の印税で、バイト仲間だった友人たちと新宿の叙々苑に行き、残りのお金で中古のFIAT500を買ったのがいい思い出です。
その後もコンスタントにコミックを出していただき、漸く生活は安定してきました。
このころ、ありがたいことに再録(作品がほかの雑誌で再度掲載される)の話が結構ありまして、大洋図書系の色々な雑誌に毎月のように載り、原稿料は元の3分の1程度ではありますが、調子に乗って東京23区内に引っ越した頃でしたので経済的にとても助かりました。
中でも特に、レディースコミックのコミックアムールに掲載されたのが嬉しかったです。
全くターゲットにしていなかった女性向の雑誌に掲載されるなんて・・・しかも結構評判よかったそうで、その後電子書籍が隆盛になってきた時、女性読者が多かったのもこれのおかげだったのかもしれません。
メジャー誌ではなかったものの、一応雑誌の看板の一人と言っていただけ、さあこれからという時にある事件が起こりました。
②2004年~に続く