デビュー25周年自分記念!② 2004年 激動の年
2004年
仕事が軌道に乗って来て、さあ仕事を増やしていこうかなと思い始めたころ、コミック幻羅の編集部で大問題が…
なんと編集長が辞めるというのです。
なにせ編集部といっても、編集部には当初彼一人だけ。一人で70人近い作家やらデビューを目指す新人やらを担当し、更にコミック作業…尋常じゃない仕事量です。
人を増やしてくれと上に言っても応じてもらえず、3年目あたりでようやくアルバイトを一人雇ってもらえましたが、給料もさして上げてもらえず・・・そりゃキレますよね。
というわけで、彼がいなくなって雑誌が続けられるわけもなく、この年の4月号で雑誌が休刊に😱
こちらは急なことで困りましたが、なんとそこでバイトをしていたFくんを編集長にして、すぐに新雑誌を始めるとのこと。
正直不安はありましたが、恩もありますし、見捨てるのも忍びなくそのまま待つことに。
(その間、休刊を知った出版社何社かからスカウトはありましたが、すべて断りました)
ところが直ぐのはずが、3ヶ月近く待たされ、できたのがこの雑誌。
まあオシャレな感じです・・・前の雑誌とは全く違うテイストで行きたいという元アルバイト編集長の意気込みは感じます。 でも作家は大して変わらないのに、表紙だけ変えても…僕も前までと違ってかなりぞんざいな扱いですし😭
やはり雑誌は全く売れず、月刊のはずが2号目から隔月に。更に3号目は季刊誌扱いになったところで休刊・・・最悪です。
仕事は義理人情で受けるものじゃないと身に沁みました…
仕事を断った出版社に今更仕事をもらいに行くのも忍びなく、一番僕の作風に向いていそうで、しかも好きな雑誌だったANGEL倶楽部に作品を持ち込みむと、ありがたいことにすぐに仕事がもらえ、それから今まで考えてみると20年近くお世話になってます。
更に同時期、コンビニで売れていたグラビア誌《マガジンwooooo!》の系の新雑誌《マガジン・ウオ―・狼》にスカウトされ、仕事させていただく事に。
何とか仕事がまた軌道に乗ってきた中、巷ではある大事件が起こりました。
今ではもう忘れられつつある事件かもしれませんが、この年、奈良小1女児殺害事件という痛ましい事件が起こりました…
1988年におこった宮崎勤事件で巻き起こったオタクバッシングが大分収まりつつあった中で起きたこの事件のせいで、エロ漫画・アニメ業界は再度大変なバッシングを受けて、倒産する中小出版社が増え、エロ漫画雑誌も大分減りました…
成年コミックのゾーニングも進みましたが、それでも止まないバッシング。
『これはもうロリコン系の漫画はいずれ描けなくなるな』と思い(実際当時、制服や年齢がわかる描写はNGな場合が多かったです。)それ以降僕は、年上のおねーさんや人妻系、更に絵柄もどちらかというと劇画系に寄せていく作風に変えていきました。
まあ実際は今もロリ系の漫画は描けますし、ちょっと考えすぎだったかと思いますが、結果的に僕自身の漫画の方向性が決まったというのは怪我の功名でした。
そしてここからまた色々と運が向いてきます。
下 ③2005年~全盛期に続く