デビュー25周年自分記念!④ 2010年~2016年心臓手術


    ありがたいことに、携帯コミックバブルが終わっても仕事は減ることなく、隔月でANGEL俱楽部・月刊でマガジンウオー・狼 その他不定期で色々な雑誌で描かせていただきました。
    メンズゴールドバグバグコミックマグナムコミックピアスb269agocp00001pl.jpgもう何を描いたか、何号描いたか、どこで描いたかもうろ覚えです・・・

    ゴンゾウr0.jpgグラビア誌でもたくさん描きました。

    グラビア誌に載る漫画は、刺身のツマみたいな感じで、比較的安い原稿料でページが埋まるので重宝がられますが、扱いは正直悪いです…(名前も表紙に載らなかったり、載っても小さかったり・・・)
    ただ、実はコンビニ売りなだけに発行部数はすごく多くて、エロ漫画雑誌より何倍も売れてたりするんですよね。

    僕がターゲットに考えていた《漫画もたまに読む程度の、オタクというほどでもない大人》に届く可能性はエロ漫画雑誌より高いわけです。
    (ただ、雑誌だけで十分利益が出ているので、中々コミック化してもらえないのが難点ですが。)
    ですので、グラビア誌系の仕事は喜んで受けていました。

    そんな中、ワニマガジン社が出していたChuッ SPECIALというグラビア誌で描かせてもらっているとき
    61YtDIxEbyL.jpg担当さんから電話があり、アンケートで10位くらいを取ったとのこと。 正直悪くて怒られるのかと思いましたが逆で、グラビア誌で漫画がそんな上位を取ることは稀だそうで、「このまま快楽天本誌も目指しましょう」と言っていただいたのは嬉しかったですね。

    毎月描かせてもらっていたマガジン・ウオ―・狼誌も、何十万部も売れてたはずですが、そこで「アンケート1位だったって聞きましたよ」って、全く真偽不明な噂を他の出版社の編集さんから言われたこともあり、それなりに業界で評判になっていたようです。

    ただ、やはりゾーニングの問題や、オリンピックが東京に決まったら、もうコンビニでエロ系の雑誌は置けなくなるという噂は当時からあり、そしてそれは現実になってしまいましたね😣

    コミックも各社から順調に出していただけて
    000 (2)000d.jpg001 (3)001 (7)00a.jpg001 (4)ds1.jpg

    手前みそながら
    t.jpg000 (2)の2作品はアンケート全話1位だったらしいです。 ただコミックは〈誘惑の年上アパート〉が確か8刷りまでいったのに対し、〈M女コレクション〉は増刷1回か、かからなかったはず・・・表紙が悪かったですかね😓


    000 (1)001 (5)この2作品はなんとAV化していただきました。IMG_4506.jpgAV1.jpgAV2.jpg
    しかも有名女優JULIAさんと乃々果花さんで・・・撮影見に行く漫画家さんも居られますが、僕は勇気がなくて無理でした・・・ちょっと後悔😩

    そんなわけで、結構ノリノリの状態で月3本近くという週刊連載作家並みの仕事を5年くらい続け、ほぼ徹夜も月の3分の1近い状況だったので、〈頭も鬱っぽいし体もなんか変だな・・・〉と思うことが増えました。

    そして2015年末 健康診断で肺と心臓に所見ありと出て、精密検査すると、肺は問題なかったものの心臓に雑音があるとのこと。「このまま放置すると明日か10年後かわからないが、いずれ重大な結果になる可能性が高い」といわれ、翌年手術を決意しました。


    osikake.jpg入院前にコミック作業を終わらせて、発売は手術後。死んでいたら遺作になって作品が病院モノ😅
    b149bldmg00171pl.jpgリイド社さんでこのときやらせていただいてた連載が色々な意味で大変だったので、手術で休めたのはちょっとありがたかったのですが・・・

    2016年2月  近所の総合病院で、最長でも4時間しか心臓を止めてられないという開胸手術が始まりました。
    当初の予定では壊れている部分の修復で、傷さえ治れば元通りというはずでした。

    しかし修復したと思って閉じてみたら、まだ治ってなかったという事でまた急ぎ開胸し、止む終えず人工弁を入れることに…
    結局4時間ギリギリまでの手術になり、しかも機械が入ってしまいました😫

    まあ生還できただけで良しとするべきでしょうが、手術後急に体に異変が増えましたから、経験豊富な大病院ですればよかったという後悔はありますね。

    そして生き残った以上は稼がねばならず、入院中も体が動くようになれば仕事に取り掛かり、一月後には前と同じ締め切りに追われる状況に・・・

    それでも体が言う事を聞かず、仕事量はそこまでの15年の半分以下のペースになってしまいました。


    001 (2)00001 (2)00001 (1)0001_center.jpg001 (8)f(1).jpg01012632330.jpg0d01.jpg手術後から現在まで、コミックはコンビニ売りの廉価版含めて8冊ほど。大分発刊ペースが落ちました😌

    ラスト デビュー25周年自分記念!⑤手術後~現在 まとめに続く


    デビュー25周年自分記念!③ 2005年~2010年 全盛期


    2004年に小林薫死刑囚が起こした事件によって、オタクバッシングは宮崎勤事件並みに激しくなり、ロリ系の漫画が描けなくなる可能性が当時は結構高かったです。

    そこで生き残るため、あまり露骨に未成年とわかるキャラを描くのを控え、年上のお姉さんや人妻モノをメインにしていくことを決めました。
    さらに絵柄も、それまでは流行りの絵柄を意識しながら、少しでも近づこうと足掻いてましたが、一切やめ、どちらかというと子供のころ好きだった古めの劇画風作品と、80・90年代のアニメ風キャラを混ぜたような絵を目指すことにしました。

    何故かというと、オタクバッシングしているような人たちでも、子供のころはジャンプ全盛期を通ってきており、漫画は必ずと言っていいほど読んでいたわけです。
    当然大人になっても読んでいる人は相当数いるはずで、そういう人たちは迫害されて縮小傾向のコアなオタク層よりはるかに多いので、彼らにはまる絵柄を目指した方が確実に読者層が広がると考えたからです。

    コマ割りも、当時は派手なものが流行ってましたが、僕は読みやすさ重視で一般誌風のコマ割りを心掛けました。

    当時は編集さんから「もっと派手な構図で」とか「もう少し今風の絵で」とか結構言われましたが、結果的にこの戦略が当たります。

    2005年ごろはガラケー全盛期で、それまでちょこちょこ出始めていたPC用の電子書籍がパッとしなかったのに比べ、
    ドコモが始めた iコミック(現コミックシーモア)というサービスは、爆発的に人気が出ました。

    そしていち早くそこに参入していったのが、意外にもグラビア誌のマガジン・ウオ―・狼を出していたサン出版さんでした。(他の出版社は、そんなに売れると思っていなかったのか、参入が少し遅かった印象です)
    80_.jpgなんとそこで僕の作品『まどか先生の桃色保健室』が全体ランキング3位に! 7位ワンピースでしたから、半年間くらいの間でしたが、国民的漫画に勝ってました😅
    1.jpg02_000.jpg(作品はこちらです。帯に500万ダウンロードの文字が・・・)

    兎に角すごく売れてくれたので、他の作品も次々に配信してくれて、最大でベスト100の中に8作品 ベスト10の中に3作品という時もありました(遠い目・・・😢)

    あの頃は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で '星野は絶対  稼いでる’ なんて噂も書かれてましたが、実際には売れ始めた頃にサン出版の編集部でない別部門の方から電話があり、「契約内容を変えたい。現在の売り上げの15%から、出版社の取り分の〇%に・・・宣伝もバンバン打つし、損はさせないから!」って言われ・・・正直当時は携帯配信の売り上げの配分とか全く分かってなかったですし、信じるほかなく・・・😖

    確かに銀行には見たこともない数字が振り込まれましたが、億なんてとてもとても。でも携帯コミックバブルで、僕よりも明らかに売れてない人たちが都心に新築マンション買ってたりして、いまでもあれは酷い契約変更だったと思いますね…いまさら言っても詮無い事ですが😭

    まあそれでも明らかに僕の全盛期が来ました。
    a001.jpgANGEL倶楽部に移籍して初めて出した単行本も、4刷り(5刷だったかも)まで行き、それからもまずまず安定して人気もとれ
    003.jpgサン出版から出していただいたこれは、初めての18禁マーク無しでコンビニでも売られ、おそらく僕史上一番発行部数が多かった本だと思います。

    このころ一般誌やほかの出版社・過去の担当さんからこぞって連絡があり仕事の依頼もありましたが、サン出版さんが『原稿料一枚〇万出すからぜひうちで!』って破格の原稿料を提示して下さったので、携帯・電子配信用の作品をやらせていただく事に。

    しかしこの時点で月刊のマガジン・ウオ―狼と、隔月でANGEL倶楽部もやっており、正直かなりきつい状況になりました。

    20160413_194521_mCtlt.jpg20160413_172548_92XVJ.jpg20160413_171152_8BdbB.jpgありがたいことに、その他にも雑誌の表紙の仕事なんかもいただき、もう月の3分の1は徹夜っていう感じの日々でしたね・・・

    ただ、コミック幻羅時代の作品なんかも含め、どんどん携帯コミックで配信しつづけてましたので、このバブルももって5年と思ってました。実際スマートフォンが普及し始めた20008年以降は配信数も減り、2010年にANGEL倶楽部で連載していた
    t.jpgが めちゃコミックの大人部門年間ベスト10に入って以降、僕の携帯コミックバブルは iモードの終了とともに終わりました。

    デビュー25周年自分記念!④ 2010年~2016年心臓手術 に続く

    デビュー25周年自分記念!① 1998年~デビュー

    25年エロ漫画を描いてきました😅
    誰かに自慢できるような事でもなく、誰も興味ないだろう事も重々承知ながら、自分自身の備忘録として25年間を振り返ってみようかと思います。
    もしよろしければお付き合いください・・😌


    1998年7月 月刊誌ホットミルクにてデビュー!

    ホットミルク友人が先にデビューしていて焦っていた僕は、当時業界ではメジャーな雑誌だったホットミルクに投稿。

    なんと入選しそのまま雑誌に掲載されました。アンケートではいきなり5位に入り、2作目では期待されていたのか大きな文字で僕のペンネームが・・・・


    …しかし2話目は全然ダメだったのか、その後編集さんからの連絡が途絶え、こちらからも連絡しなかったので(当時は編集さんから連絡があるのを待つものだと思ってました😴・・・)そのままホットミルクとはオサラバに😭


    1999年~2004年  

    失意の中、元々目指していた一般誌でのデビューの足掛かりにと4大少年誌の一つへ作品を持ち込み。

    担当になってもらった編集さんの紹介で、某作家さんのアシスタントに(この辺はブログ左側のカテゴリーにある〈アシスタント時代〉に詳しく書いてます。)

    勉強にはなりましたが、体育会系の厳しい職場を早く抜け出したくて、半年後にはエロ漫画一本を描いて快楽天・キャンディータイム ・ビタマンの3誌に持ち込み。

    どこも意外と反応が良く、悩んだものの、一番早く載せてくれそうだったキャンディータイムでお世話になることに。


    キャンディータイム再デビューはできたものの、ここでも人気はイマイチで、キャンディータイム本誌以外の増刊号であるナチュラルハイに回されたり、掲載されない月があるなどまだまだ不安定な状況が続きました。


    そんな中、以前持ち込んだ竹書房のビタマン誌の担当さんからお声がかかり、おまけページの間違い探しを描く仕事をいただく↓

    間違い探し

    並行して作品のアイデアを出し、何度かビタマン本誌で作品も発表させてもらいました。ビタマン


    ここでは初めてアンケート1位もとらせていただきましたが、「なんでこの作品が1位なのか分からん」なんて担当さんに言われ😠 その後扱いが良くなるわけでもなく・・・

    それに雑誌の性格上、基本純愛系を描かなければならないのですが、それがエロを描くより恥ずかしい・・・向いていない・・・😖


    イマイチ人気も安定せず、自分の方向性に悩んでました。そんな時、新創刊されるという雑誌 コミック幻羅 で描かないかとスカウトされました。

    コミック幻羅1これが僕にとって大きな転機になりました。


    ここでは先にデビューしていた友人の島本かおる先生と初めて同じ雑誌で描けたり、後々大きな財産となる深紫’72先生との出会いもありました。

    当初はアンケート上位にはいたものの、まだまだ不安定でしたが、編集長の《人気さえ取っていれば好きにやっていい》という方針の下で、それこそ好きにやらせてもらい、5作目くらいだったか、遊び心でやった’逮捕しちゃうぞ’みたいな二人組のキャラで描いた作品がアンケートで断トツの数字を取り、それ以降はほぼずっとアンケートトップ3には必ず入っているくらいになれました。

    幻羅1


    そして2001年ついに初単行本が出ました!

    218comic08925pl.jpgなんと発売開始一週間もかからず増刷が決定し、その後も5刷りくらいまではいきました。

    嬉しくて、売れ行きの確認に近所から秋葉原まで本屋を何件も見て回りました・・😅

    最初の印税で、バイト仲間だった友人たちと新宿の叙々苑に行き、残りのお金で中古のFIAT500を買ったのがいい思い出です。

    その後もコンスタントにコミックを出していただき、漸く生活は安定してきました。

    ミリオンコミック

    このころ、ありがたいことに再録(作品がほかの雑誌で再度掲載される)の話が結構ありまして、大洋図書系の色々な雑誌に毎月のように載り、原稿料は元の3分の1程度ではありますが、調子に乗って東京23区内に引っ越した頃でしたので経済的にとても助かりました。

    中でも特に、レディースコミックのコミックアムールに掲載されたのが嬉しかったです。

    412_.jpg全くターゲットにしていなかった女性向の雑誌に掲載されるなんて・・・しかも結構評判よかったそうで、その後電子書籍が隆盛になってきた時、女性読者が多かったのもこれのおかげだったのかもしれません。

    メジャー誌ではなかったものの、一応雑誌の看板の一人と言っていただけ、さあこれからという時にある事件が起こりました。

    ②2004年~に続く